2016年8月11日
人生最大のターニングポイント~中2の夏~
子どもたちの夏の思い出にアンパンマンプールに連れて行ってあげたいけれど昨今の体重増加で水着になる踏ん切りがつけられない岩附です。大学時代、週4日のテニスで10%台の体脂肪率だった自分のイメージがぬぐえず、現実を受け入れられません・・・
さて、夏の思い出、みなさんたくさんありますよね。
私の人生の最大のターニングポイントは中2の夏にやってきました。
家族でアメリカで2年間過ごすことになったのです。
当時の私は紡木たくの「ホットロード」「机をステージに」等の漫画に憧れ、そこに出てくる主人公のように髪の毛を染めるという大胆な行動に出ました。今でこそある程度染めている人が多い時代になりましたが、当時1980年代の日本は、駅の混雑でざっと人を見渡せば髪の毛は全員黒い、という時代です。しかも夏休み中にとかではなく、普通に、6月か7月くらいに。そんな茶色い髪で制服を着て都内の私立中学校に通っておりました。
いわゆる反抗期と、興味本位と、「オキシドールを塗ってドライヤーかけると脱色できるらしい」という噂の検証(「髪に何かしてるでしょ!」と親に詰問され、何もしてない、と白を切る私のやりとりを見た5歳下の妹が洗面所からオキシドールを持ってきて「おねいちゃんこれ塗ってた!」と告げ口し親にばれました)でした。
そんな「この子はどうなっちゃうんだろう?」と周囲が心配していた矢先の渡米。
Brookline(ブルックラインと読みます。ニューヨークのブルックリンと似ていますが違います)というボストン郊外の町に住み、その公立高校に通うことになりました。
今思えば、この2年間の経験が、私のモノの見方にすごく影響したと思います。
はじめて「日本人であること」を意識し、「考える」ことを学び、アメリカ社会の自由と寛大さと多様性に触れ、日本以外のシステムを知ったからです。
また当時、勉強が出来る方ではなかったのですが、この2年間の公立学校生活で英語が出来るようになったことは、その後の受験だけでなく、様々な機会において有利になったし、自信になったと思います。
帰国後に受けたTOEFLの点が、一発で父の点数を抜いたときに「オレのおかげだ」と言った父を、なんか張り合ってきて大人げないなと思いましたが(父の留学に家族でついていったのですが、父にとっては何年間もトライしやっと大学院にアプリケーションを送る基準点をクリアしたという経緯がありました)、父に一番感謝しているのはアメリカに連れて行ってくれたことかもしれません。
最近キャリア教育関連のインタビューなどが続き、「高校生にメッセージを!」なんて言われるのですが、そうするといやがおうにも「自分はどうだったけな」と、自分の中学高校時代を振り返ることになります。
こうして振り返ってみると、やはりあの中2の夏が人生最大のターニングポイントだったのではないか、と、40を過ぎた夏に初めて自覚するにいたったため、初の山の日の休日の午前5時にこのブログを更新してみることにしました。
ほとんど英語が出来ない状態で、完全英語の学校生活が始まったわけですが、そのあたりのドラマはおいおい書いていきたいと思います。
まるで温泉の湯船の中を歩いているような錯覚に陥る暑さが続いていますが、みなさま良い夏を!