東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」 | 世界の子どもを児童労働から守るNGO ACE(エース) - Part 2

児童労働のない未来へ-NPO 法人ACE代表 岩附由香のブログ

東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」

2021年1月26日

米国と寛容

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分断と不寛容が代名詞のトランプ政権が終わった。私は米国に三度、住んだが、初渡米は十四歳の時だった。二年間の予定で、家族でボストン郊外に移住し、私は地元の公立高校に入学した。

日本の私立女子校から転校した私にとっては、もう毎日が衝撃の連続だった。

廊下ですれ違う上級生はクルクルパーマにヘッドホン、口には棒付きキャンディー。授業は選択制で、ホームルームは週一回。教室の机の裏に、びっしりついているガムには閉口した。

私のような英語ができない生徒向けの英語クラスがあった。そこで「いつまで米国に」との問いに、ロシア人の子が「for good(永遠に)」と答えた時は驚きだった。仲よくなったアメリカ人に見えた子たちは、実はルーマニア、トルコからの移民だった。

そして、初めて「日本人であること」を自覚したのもこの時だった。真珠湾攻撃の日の全校での黙とうに戸惑いを覚えた。韓国人の友だちが出来た時、母に「よかったね、日本は昔、ひどいことをしたのに」と言われ、戦争の加害を知った。

社会の多様性を体感し、日本を違う角度で見られたことは、いまの自分に大きく影響している。違いを受け入れ、共に生きる。バイデン大統領の率いる米国がそんな価値を国内外で発信してくれることを望む。(NPO「ACE」代表)

(2021年1月26日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)

東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」

2021年1月20日

公園の黄色いテープ

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緊急事態宣言が再び発令され、前回の経験を思い出す。昨年四月、感染拡大を受け、自宅のあるインドから日本に緊急帰国し、二週間の自宅待機期間を都内で過ごした。当時七歳と五歳の娘たちは「外に出たいよぅ」と訴えたが、インドの学校のオンライン授業もあり、なんとかやり過ごした。

我慢の二週間が過ぎ「やっと外に出られる」と向かった公園。仮住まいは区境にあり、遊具がテープで巻かれ、使えない公園がある一方、渋谷区側の公園は「人との間隔をとりましょう」というポスターが掲示され、遊具を使うことができた。

そのうち、そのポスターは、二㍍の距離を矢印で実際に示す横長の垂れ幕に変わった。そう、その公園のメインユーザーは未就学の子どもたち。字も読めないし「二メートル」と言葉で言われてもその長さを実感できない。子どもたちのことを考え、理解できるよう伝える努力に感心した。

 国連子どもの権利条約には「遊ぶ権利」も明記されている。感染予防を徹底するなら、遊具よりよっぽど密な満員の通勤電車に、なぜテープを巻かないのか。あの公園の黄色いテープに「経済優先」という大人の都合が透けて見え、子どもの利益はいつも後回しだと落胆したのを思い出す。今回の緊急事態宣言下はどうか。子どもたちの声を真剣に受け止め、子どもにとって最善の利益を考える行政を望む。

NPO「ACE」代表 岩附由香

(2021年1月19日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)

東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」

2021年1月12日

夢を奪う児童労働

 「なれるものになるよ、来るもの拒まずだよ」。

  将来の夢をきいたとき、その少年はこう答えた。

 一九九八年にインドで出会ったサディス君は元児童労働者。週六日、製糸工場で働いていた。六日働いても五日分しか給料はもらえない。昼食は出るが、いつまで食べているんだと皿を投げられ、仕事で失敗すると、煙草の火を押し付けられた。

 「親に相談しなかったの」と私がきくと、しなかったという。なぜか。同じように働く別の子どもの親が文句を言いに来たことがあったそうだ。次の日、その子は働きに来なかった。親も捜しに来たが、見つからない。たぶん彼は殺されたと思うという。だから、親に相談しなかったんだと。最後に将来の夢をきいたら、冒頭の言葉だった。

 私がNGO「ACE」をつくるきっかけとなった九八年の「児童労働に反対するグローバルマーチ」は、文字通り、世界百三カ国、八万㌔を児童労働から救出された子どもたち、NGO、市民が六カ月かけて行進し、九九年の「最悪の形態の児童労働禁止・撤廃条約」の実現を後押しした。

 児童労働は子どもの教育の機会、健康的に発達する権利、そして将来の夢や希望も奪う。児童労働者は世界に一億五千二百万人(二〇一七年ILO発表)。デリーのマーチでのサディス君との出会いが、私がこの問題に向き合い続ける一つの原動力になっている。

NPO「ACE」代表 岩附由香

(2021年1月12日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)

東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」

2021年1月5日

 

皆さんはどんな初夢を見ただろうか。私は夢を比較的鮮明に覚えているタイプ。あまりにもおもしろいので、起きてすぐその夢をノートに書いたりするほどだ。政治家、友人、先生など、登場人物も入り交じり、支離滅裂なストーリーが多いのだが、不思議と夢の中でもその本人のキャラクターが出ていたりする。

 ある時、こんな夢を見た。襲われ、自分が殺されそうになっている。そこで私は「まだ児童労働の問題を解決していないのに、死ねない!」と焦ってるという夢だ。この夢を見た翌日、たまたまACE著「チェンジの扉」という本のインタビュー取材があり、雑談のつもりでこの話をしたら、本の一部に採用された。図らずも忘れられない夢になってしまった。

 児童労働の問題と出合い、学生時代にACEという団体を設立したのが一九九七年。気づけば二十年以上もこの問題に取り組んでいる。当時、NGOの若手リーダーと呼ばれた私も、気づけば中年。二〇〇七年に出した私たちの著書を「小学生のころに読んだ」という大学生や社会人に出会うようになり、時の流れの速さに驚いてしまう。

 児童労働の問題を解決する。文字通り夢にまで見る私の人生の夢。新年の目標を立てる人も多いと思うが、改めて自分の夢は何かを振り返ってもいいかもしれない。

NPO「ACE」代表 岩附由香

(2021年1月5日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)